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松戸の女子高生飛び降り事故や人身事故やら爆破テロなど、歪なニュースが飛び交って止まない。

 

ネットで回ってきた女子高生2人の自殺配信のアーカイブを見た。

正直救えた命だったなと思う。

何が彼女らをそこまで突き動かしたのか。そこは一概にネットに載っている情報だけを鵜呑みにして解釈できるほど単純なものではない。

ただ、この事故で人は何かを考えなくてはならないと思うが、この事故に限ったことでもない。

 

友達とこんな話をした。今年の春はなんか薄いねって。でもそれは5年前や10年前の自分が見た「春」に縛られているからじゃないか?と話しをして、きっと今の春は時代の全力なのかもな…と纏まった。

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気候変動により草木に影響がでている。何もしたくなくなる。故の鬱に苛まれる。比較的過ごしやすい気候。急にきて急にいなくなる。桜も人も。

絶え間なく死ぬ。

 

この時代の春は歪すぎる。

ソーシャルメディアに取り憑かれ、大切な何かを見失い自分ではない何者かになろうとする。≒自殺である。

みんな自殺をしていく時代。精神的にも物理的にも。

 

そして爆破テロが起こる。

世間はそれで持ちきりになる。

それより前に起こった事件や事故には思考すら当てず、次があればすぐに使い捨てられる。

 

この時代に必要なのものは紛れもなく人の力だと思う。人は人にしか救えない。ネットやディズニーランドから遠く離れたどこかでしか本当の意味では救われない。この一件で我々は一体何を学ぶか。

 

死ぬ覚悟ができたらなんでもできるという言葉はよく聞く。確かにそうだが、その原動力を他に使うことができない人間も現実問題沢山いる。そんな人たちに本気で死のうとしたことがある自分から唯一アドバイスできるなら、

自殺しようと思ってからが本番ということ。

 

人に合わせてヘラヘラしてるだけの人間も、人と馴染めずに個性が浮いてしまった人間も、上手く思ったことを口に出せずに孤独な人間も、時代の「常識」によって他殺される。

 

そんな壁、ぶち破れるならとうにそうしている。

 

駅のホームでは後2メートル前に出たらいつでも死んでしまう。常にいつも死と隣り合わせで皆生きている。

今日、姪っ子が家のプードルを誤って踏みつけてしまい、その後意識不明になり息をしなくなった。

正直絶句した。緊急で夜間の動物病院に行き、なんとか一面を取りとめることができたが不安が募る。

でも本当に良かった。

 

自殺でも不慮の事故でも、その周りにはたくさんの人がいる。その女子高生2人の親は、一体今どんな気持ちなのだろうか。

怒りだろうか、後悔だろうか、悲しみだろうか。

その全部だろうか。本当は内心喜んでいるだろうか。

 

分かるはずもない。

 

何が悪いと、せめてもの悪者を心の安定の為に作り上げるとすればきっとこの歪んだ時代。

 

どうすればこんな人たちのことを、自分の音楽というツールで減らせるのか。そんなことばかりを考える。

 

それは上記にあった壁をぶっ壊す姿を世に見せつけることだと思った。スケールがデカいとも思うが、死ぬほど小さくも思える。

Z世代という括りは極めて浅い。この先時代を揺るがす自分たちがZならそれをジャンルで括るお偉い大人さん方はきっとA世代とでも呼べばいいでしょうかね。何も変わっていないのだから。